漢字教育士ひろりんの書斎漢字の書架
2015.1.  掲載
 

 専と博のつくりとはなぜ違う?

 皆さんは、漢字が好きですか。「好き」と答える人は余りいないでしょうね。次から次へといろんな漢字を覚えさせられて、しょっちゅうテストもあるし、ちょっと線が多かったり点が少なかったりするとバツをつけられます。似たような字でもちょっと違うところがあったりして、何でこんなに意地悪なのかな、と思っている人もいるでしょう。
 たとえば、「専」と「博」です。「博」のつくりは「専」とそっくりなのに、こちらには右肩に点があります。皆さんも、「専」に点を打ったり「博」の点を抜かしたりして、バツをつけられたことはありませんか。
 でも、皆さんに意地悪をするためにこのような漢字が作られたわけではありません。では、なぜこんなことになっているのか、たねあかしをしましょう。ちょっと長いですが、読んでください。
 皆さんは、第二次世界大戦の前には、今の漢字と違った字が日本で使われていたことを知っていますか。ためしに、図書館などで古そうな本をめくってみてください。今の字と似てはいるけど、もっとややこしい字が使われています。例えば、「学」が「學」、「真」が「眞」になっているなど、たくさんあります。人の名前などでは、今でもこの古い字を使っている場合もあります。
 この古いタイプの漢字(「旧字体」と言います)は、中国の清の時代にまとめられた字典に載っているものです。この字典は、1716年に皇帝の命令でつくられた「康熙字典」(こうきじてん)というもので、5万字近い漢字が収められています。
 世界中のたいていの字は、はじめは粘土や骨に掘り込んで使っていました。漢字も、亀のこうらやシカの肩甲骨に刻んで、占いをするために使われ始めたものです。これが約3300年も前のことだといわれています。それがやがて、青銅で作られた道具に浮き彫りにされたり、筆と墨を使って竹の板や紙に書かれたりするようになってきました。この長い時間の流れの中で、時代により、また地域によって、同じはずの字でも、いろいろな字体で書き表されるようになってきました。このように、意味や成り立ちが同じでも形が違う字のことを「異体字」といいます。
 同じ国の中で、同じはずの文字がいろんな形で書き表されては、読めるはずの人でも読めなくなってしまいます。このため、秦の始皇帝をはじめ、国を支配する権力者は文字を統一しようとしました。この康煕字典もそのために作られたのです。
 日本でも、中国からさまざまなルートで漢字が入ってきましたから、同じ字がいろんな形で書き表される、という状態になっていました。それでは困るということで、明治時代に、日本で使う漢字はこの康煕字典に載っているものとする、と決められたのです。これが、さっき出てきた「旧字体」です。
 ところが、第2次大戦後、日本の漢字は欧米のアルファベットに比べて難しすぎる、もっと簡単にするべきだ、という意見が強くなり、普段使う漢字の数を制限したり(そのころは「当用漢字」といいましたが、今は「常用漢字」といいます)、その当用漢字の中で画数が多くややこしい字を簡単なものに作り変えたりしました。この、簡単になった字が、「学」や「真」などの「新字体」なのです。
 さて、問題の、「専」も「博」も新字体です。では、旧字体ではどんな字でしょうか。
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「専」旧字体 「博」旧字体
 旧字体では「専」は「專」と書きます。この字は、「転」や「伝」や「団」の旧字体(「轉」・「傳」・「團」)の一部になっています。これらの字は、音読みすると、セン・テン・デン・ダンですから、似ていると言えるでしょう。これらの字の場合、旧字体のなかの「專」を、「専」「云」「寸」と、いろんな形に略しているので、新字体を見ても、関係のある字だということが分からなくなってしまっています。
 一方、「博」の旧字体は「hakumintyou.png(426 byte)」です。今の字とほとんど同じで、つくりの上半分が「甫」、つまり縦の3本の線が下に突き出ているだけの違いです。でも、感じはだいぶ違いますね。この「甫」のつく字は皆さんもご存知でしょう。補、捕、浦などいろいろあります。みんな肩に点がありますね。旧字体で「甫」のつく字には、ほかに簿や薄もあります。「寸」はつかないけれど、「敷」という字もそうです。これらの字は、音読みではハク・ホ・ボ・フなどで、中国での発音としては同じ系統のものと言われています。
 つまり、旧字体から新字体になったときに、「博」の中の「甫」の縦線は短くなったけれど、右肩の点は省略されなかったのです。一方、「專」はまん中の部分が省略されて「専」となり、結果として「博」のつくりとよく似た形になった、というというわけです。
 でも、「專」も「甫」もそれぞれ違った意味や成り立ちを持つ別々の字です。
 「專」の上半分は上部をくくった袋の形で、「寸」は手の形なのです。袋を手で押さえて、丸くしたかたちが「團」(団子の団です。囗[くにがまえ]は、もとは丸い輪のかたちでした)、車のように転がすことを「轉」といいます。
 一方、「甫」は苗木が育つように根元に支えをした形といわれています。これに手を加えて、木を植えるというのが「甫+寸」という字の元の意味でした。これがさまざまな意味の変化を経て、「ひろい(面積が広いのではなく、知識や影響力の範囲が広いこと)」という意味を持つようになり、その意味を表す専門の字として、博という字が現れました。博という名前を「ひろし」と読むのは、そういうわけがあるのです。
 漢字の成り立ちや、その字ができたときに持っていた意味を勉強して理解するのは難しいけれど(学者の間でも違う意見があります)、なるほどそうかと思えることも多く、なかなか面白いものです。そのうえ、漢字の形だけを丸暗記するより楽しくて忘れにくいのではないでしょうか。

*この稿の大人向けバージョンは、こちらをご覧ください。

参考資料

新訂字統  普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年

画像引用元(特記なきもの)

康煕字典(内府本)  清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年

JIS規格外漢字(明朝体)  グリフウィキ(ウェブサイト)